インタビュー セルエイド Pタイプ

聖マリアンナ医科大学
形成外科・再生医療学寄附講座

井上 肇 特任教授

 令和2年度診療報酬改定において、再生医療技術である多血小板血漿(Platelet-Rich Plasma:PRP)を用いた難治性皮膚潰瘍治療が保険収載された(J003-4 多血小板血漿処置)。この保険収載は、聖マリアンナ医科大学病院と国内5施設の協力医療機関で実施された先進医療制度を用いた臨床研究の成果によるものだ。この研究を主導した聖マリアンナ医科大学・形成外科学特任教授の井上 肇氏に、保険収載に至るまでの経緯や意義について伺った。

■ EGFを多量に含む血小板に注目

 PRPの歴史は思いのほか古い。1950年代、欧米の研究者が血液凝固のしくみを研究するためにPRPの調整法を開発したのが最初といわれている。その後、臨床での応用が始まった。まず、使われたのが歯科のインプラント治療だった。
 インプラント治療をするには、顎骨に一定の強度が必要だ。骨の強度が足りない場合は本人の脛骨や腸骨を採取して強度を補う方法が用いられていたが、それだと患者への負担が大きい。そこで、非侵襲的な方法として登場したのがPRPを用いての造骨だった。
 2000年代に入ると美容外科での利用が盛んになり、シワ取りなどのアンチエイジング治療として取り入れられ、ほぼ時を同じくして整形外科(スポーツ医学)領域にも広まった。特に2014年に右肘靭帯の部分断裂と診断されたヤンキースの田中将大がPRP療法を選択し、その後わずか2ヵ月半で復帰したことで一気に世間に知られるようになった。
 そうした中で、表皮や毛髪の再生医療の研究をしていた井上氏がPRPに着目するきっかけとなったのは、PRPに高濃度に含まれる上皮成長因子(Epidermal Growth Factor:EGF)の存在だった。EGFは細胞表面の特異的な受容体に結合し、上皮細胞の増殖因子として働くサイトカインで、細胞培養に欠かせない物質だ。

井上先生:血小板にEGFが多量に含まれるという話を耳にし、血小板が皮膚の培養や皮膚潰瘍の治療に利用できるかもしれないと考えました。血小板を濃縮した血漿液(PRP)の研究の始まりは、本当に何気ない、軽い思いつきだったんです。

 研究を進めるうちに、血小板が再生医療の重要な基盤技術になり得ることがわかってきた。さらに、PRPが様々な組織再生に利用できることにも気づいた。これらは井上氏にとって大きな発見だった。
 PRPは患者の血液を採取し、遠心分離機で比重の違いを利用して赤血球と白血球を沈殿させ、血小板だけを高い濃度で血漿中に浮遊させた液体(血漿)である。たったそれだけの操作で調整できる。原理は至って簡単である。ただし、血液には個人差がある。血液の組成も、含まれる血球成分の濃度も一人ひとり異なる。だから画一的な操作で同一のものを調整できない。ばらつきのある血液から、安定的に高濃度のPRPを抽出できなければならない。井上氏は技術改良を重ね、徒手的ながら、容易にPRPを抽出できる方法を開発し、2011年難治性皮膚潰瘍並びに褥瘡の治療を対象に、先進医療A(第二項先進医療)として国の承認を得た。それによって、保険診療と保険外診療の併用が認められ、患者の負担は軽減されるようになった。
 しかし、「再生医療は市中に普及してこそ、真の医療となりうる。高度医療機関の特別な技術で、一部の患者だけが享受できる医療で終わってはならない」を持論とする井上氏には、混合診療で満足するわけにはいかなかった。PRPを市中に広げるには、保険収載させたい。そのためには、企業の力を借りて、安全かつ効果の高い再生医療技術を確立し、先進医療B(第三項先進医療)の承認の下、臨床研究を実施し、その結果をもって治験を行うことなく保険収載を目指すという荒技に出た。

井上先生:医学界は総じて PRPには懐疑的でした。PRP療法が著効する患者さんもいれば、全く効かない人もいて、見解も分かれ、PRPへの信頼度は決して高くはありませんでした。これは、PRPを抽出する方法やキットは様々で、それに伴いPRPの純度や濃度にも差があるからだと考えました。そのため、PRPが信頼を得るには、どこで誰が作っても、またどの患者さんの血液であっても、同じ品質が担保され、なおかつ、それほど大掛かりな設備を必要としない医療器材の開発が必要でした。

 しかし、納得できる医療器材が見つからず途方にくれていたときに、適切な血液成分分離バッグと出会った。しかも既に医療機器として認証を受けている素材を用いており、安全性は担保されていた。広く市販されている遠心分離機とこのキットさえあれば、手術室でも診察室でもPRPを手軽に抽出でき、しかも操作も簡単だ。血小板の濃縮率は高く、調整過程で血小板が破壊される割合も先進医療Aの徒手的な抽出法によるPRPとほぼ同等であることもわかった。これが、PRP処置の保険収載という大きな目標に向かう一歩となった。

■ リベド血管症が治癒するなど著効を得る

 PRPを用いた難治性皮膚潰瘍治療の臨床研究が、聖マリアンナ医科大学病院と金沢医科大学病院など協力医療機関5施設で始まった。

井上先生:五つの施設が本当に親身に積極的に協力してくださったことも申請までの期間短縮につながりました。特に協力医療機関においては、臨床研究に関連する面倒な業務は治験管理室の諸先生方、ややこしい保険外併用療法については医事課の皆様が、本当に矢面に立って頑張ってくださり、実施医師が患者治療に集中できる環境を整えてくださいました。

 PRP療法の治癒効果は予想以上だった。同病院では、下肢の強い有痛性の難治性皮膚潰瘍で、QOLを著しく低下させるリベド血管症の患者にPRP療法を行ったところ、劇的な効果を認め、再発も認められず患者に大いに喜ばれた。しかし中には想定外の展開もあった。下腿の潰瘍のため車椅子で通院していた患者が、PRP療法により足の潰瘍が改善。その結果ADLが極端に向上したため、逆に慢性心不全が悪化し、潰瘍が再発するなど、残念ながら無効と分類せざるをえない症例もあった。
 PRP療法に懐疑的であった医師たちにも変化が現れた。

井上先生:PRP療法は、例えば足の切断との診断を受けた糖尿病性足壊疽の患者さんが、切断を決心するまでのつなぎ医療のように捉えている医師が多かったように思います。しかしPRP療法は、こういった患者さんの下肢切断をも回避できることがしばしばあり、多くの医師が選択肢の一つとして考えてくれるようになりました。

 研究そのものは順調に進んでいった。ところが、申請の手続きは容易に進展せず、苦労の連続だった。

■ 単群試験で有効性を説得する難しさ

 当時、PRPの品質は規制されておらず、玉石混交の状況にあった。この事を問題視していた厚生労働省は、正しいプロトコールで導き出された結果を評価し、法的規制をも視野に入れていた。そうした中、キットで抽出し調整されたPRPは、品質と安全性の担保という点において信頼性が高いとの評価を得た。しかし、それはスタートラインに立てたことを意味するだけで、保険収載が保証されたわけではなかった。
 最も苦労したのが、単群試験の結果で有効性を評価するプロトコールを専門家会議で理解されるように、説明をしなければいけなかったことだ。

井上先生:専門家委員は医薬品の評価には習熟していても、再生医療技術の経験はほぼ無いと言って良い状況でした。医薬品を評価する場合は通常、二重盲検試験を行って有効性を示すプロトコールが採用されます。ところが、今回の臨床研究の場合、現在最も有効とされる保存治療を行っても効果が得られず、もはや治療方法が無い万策尽きた難治性皮膚潰瘍を対象としています。放置すれば悪化の一途を辿る状態の患者さんに、プラシーボ群を設定して効果を認めない現存治療を行うことは、人道的に許される事ではありません。

 従って、是が非でもPRP療法では対照群を設定しない単群試験のプロトコールを認めさせる必要があった。
 単群試験の議論に加えて、2014年11月に施行された「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(再生医療新法)」と、先進医療BにおけるPRPの位置づけが全く異なっていたことも、審査の過程で混乱に拍車をかけた。
 「PRPの技術は先進医療にかかわる法律と再生医療技術の法律、2つの規制による縛りを受けていました。各々の縛りに対して齟齬がないように整合性を取りながら技術を具体化せねばなりません。まるで無実の罪で起訴されて、法廷でたった一語言い間違えただけで有罪になってしまうかもしれない、それに近い感覚で文書を作成していました」と井上氏は当時の心境を語る。

井上先生:最終的には、私たちのプロトコールに対して、専門家委員の統計家が『単群試験における試験期間と患者数の統計学的妥当性を評価して、本臨床研究の科学的信頼性と妥当性を認める』との判断をしました。

 先進医療B実施の承認を得た後は、比較的順調に症例も組み入れられ、結果も良好で予定臨床研究期間を1年も残して終了した。しかし、最後の関門である専門家による評価、そして有効性の認定、保険収載の妥当性の評価、さらに中医協での最終審査が待ち受けていた。その審査の過程で、先進医療Bの結果について再度「PRPの単群試験は無意味である」と指摘されたのだ。
 「まさに悪夢の金曜日でした。全てが水泡に帰すギリギリにまで追い詰められ、夜中に必死で引用された文献を読んでいました」と井上氏は当時を振り返る。
 指摘根拠となる文献を読むと、確かに未治療でも長期的には治癒する症例が一定の割合で存在した。しかしさらに読み込んでいくと、患者の30%程度に創部の感染や重篤な有害事象が発生し、治験そのものを中断している症例も10%以上あった。
 そこで井上氏は、「我々のプロトコールと、そもそも対象とする患者の重症度が異なる。そして、30%もの患者に創部感染や重篤な有害事象を認めるような治験を行うこと自体、22年前の文献のプロトコールは近年の医療環境から考え不適切と考える」といった論理で反論した。審査委員からの「漫然とした長期間のプロトコールでの先進医療技術はコンプライアンスの問題で好ましくない」との見解も追い風となった。
 何段階もある評価会議において、常にこれを「先進医療制度を利用した国内で初の再生医療技術として承認し、保険収載する」という担当者の強い意思と、後に続く再生医療技術のためにもある程度大胆に、しかし慎重にならざるをえないという気持ちが折に触れて伝わってきて、頼もしさと同時に大きなプレッシャーも感じていた。きわめて長い数カ月だったと井上氏は語る。

■ 再生医療技術の保険収載へのロードマップ

 不安な日々も終わりに近づいた。中医協総会を経て、遂に4月、PRPを用いた難治性皮膚潰瘍の治療技術の先進医療Bかつ保険収載(4,190点)が認められたのだ。
 今回のPRPの治療技術の保険収載は再生医療に携わっている人々に大きな希望をもたらした。なぜならば、細胞加工製品ではなく、再生医療技術が、保険収載となったからだ。将来出てくる再生医療技術の保険収載へのロードマップになったという意義は大きい。
 今後、症例が増えてこの再生医療技術の安全性と有効性がさらに担保されれば、再生医療等安全性確保法の枠組みから外れ、どこの施設でも行えるようになる可能性が出てきた。それが実現したとき、井上氏の持論のとおり、身近な再生医療として普及するのだろう。
 今回保険収載された対象疾患は難治性皮膚潰瘍だが、超高齢化社会を迎える日本において、中高年の関節症は増加の一途である。関節の痛みによる活動性の低下は、運動能力の低下につながり、転倒や転倒に伴う骨折、寝たきりリスクが増える。PRPは整形外科領域にも効果があるが、まだエビデンスには乏しいため、次の目標は、しっかりとしたプロトコールで、整形外科領域への実用化を目指すと言う。また、研究レベルだが、PRPによる亜急性期であれば中枢神経再生を促進させ、麻痺を改善させる試みもすでに行われている。

井上先生:再生医療技術は、夢の技術ではありません。皮膚潰瘍についていえば、軟膏療法や局所陰圧閉鎖療法など、従来の治療がまず優先されます。PRP治療法は、従来の治療で十分な効果が得られなかった場合に行う治療であると認識してほしい。

 今、井上氏のもとには、再生医療の研究者や施設からの保険収載に関する相談や講演依頼が相次いでいる。

井上先生:再生医療と言えば、iPS細胞や ES細胞の実用化と思われがちです。しかし、まだ夢の彼方です。今そこにある細胞・そこにある技術で、実用化できる素晴らしい再生医療は他にもたくさんあります。夢を追わずに、これら現実的な再生医療技術を正しく評価されるお手伝いや速やかに承認されるような啓発と地ならしをするのが、今の私に課せられた社会責任だと思っています。

 井上氏は今、大きな仕事をやり遂げた喜びと安堵をようやく実感しているという。

取材・文/荻 和子  撮影/轟 美津子

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