相手のことを理解しようとする姿勢、力。
それが時代を超えて
大事なことだと思います。

医療法人社団 如水会 理事長
嶋田 英敬(しまだ ひでたか)

PROFILE

医療法人社団 如水会 理事長
医療法人社団 如水会 理事長1968年熊本県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業後、熊本大学病院へ入局。熊本赤十字病院・済生会熊本病院での研修を経て、2000年に嶋田病院副院長に就任。2007年より理事長を務める。祖父の代から続く医師の家系に生まれ、腎臓内科・透析・痛風治療の専門医として地域医療を牽引してきた。熊本県透析施設協議会会長も務め、災害時情報ネットワークの整備にも尽力。【専門】内科、透析、痛風
【資格】日本内科学会内科認定医、日本透析医学会専門医、日本感染症学会ICD認定医、日本痛風・尿酸核酸学会 認定痛風医、日本透析医会 理事・災害時透析医療

熊本で腎臓・透析医療を専門とする医療法人社団 如水会は、2024年に設立50周年を迎えた。祖父が礎を築き、父が育て上げた嶋田病院を地盤に、現在は嶋田病院・嘉島クリニックの2施設を擁し、地域医療を支え続けている。高品質な透析医療の追求と、地域に根ざした予防医学・災害医療への取り組みを両輪に、今まさに新たな50年に向けて歩みを進める如水会。理事長の嶋田英敬先生に話を聞いた。

医師の使命感は、
亡くなった患者さんとの絆が教えてくれた

 嶋田英敬先生の原点は、三代にわたる医師の家系にある。祖父は軍医として太平洋戦争に従軍し、父が嶋田病院を創設して、透析医療に本格的に取り組み始めた。嶋田先生も幼い頃から父のもとへ週3回透析に通ってくる患者さんたちの姿を見るのが日常だった。「患者さんたちが父を深く信頼して、自分の身体を預けてくださっている姿を間近に見ていました。これを自分が引き継いでいくのだ、という使命感が自然と芽生えていったように思います」と話す。医師への道は、あらかじめ定められた運命のようでもあり、同時に、自ら選び取った決意でもあった。 東京慈恵会医科大学を卒業後、熊本大学病院へ入局。
済生会熊本病院などでの研修を経て透析医療に携わるようになり、2000年に副院長として嶋田病院へ着任。2007年からは理事長を務め、現在に至る。
 学生時代は弓道に打ち込んだ。精神統一を要するその競技は、現在の先生の姿勢とどこか重なる。慈恵医大の建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」は、学生時代に深く刷り込まれたという。「自然とそういうふうになっているのかもしれません」と苦笑いしながら語る言葉に、医師としての信念が滲む。 先生の医師としての価値観を根底から揺さぶったエピソードがある。透析治療を長く続けていた患者さんが亡くなられたときのこと。ご家族はわざわざご搬送の車を遠回りさせて、病院の前を通ってご挨拶されたという。「長く透析でお世話になったから、ここが第二の我が家みたいに思っていました」という一言が、今も胸に刻まれています──、先生はそう話す。「1回1回の透析を疎かにするな、という言葉をスタッフに折に触れて伝えているのは、あのときのエピソードがあるからです」

「完璧と思った瞬間が始まり」
熊本から全国へ、次の50年へ

 如水会の透析医療の質の高さは、数字にも表れている。粗死亡率は、全国平均の2~3分の1で推移していた。この成果を支えるのが、「病院機能評価」と「ISO 9001」という「静と動」の2つの認証取得だ。「病院機能評価は現時点の水準を評価するもの、ISOはシステムとして継続的にアップデートできる体制にあるかを見るもの。両方を取得することに意味があると考えています」
 先生が大切にしている哲学に「完璧と思った瞬間が始まりである」という考えがある。完璧であれば次の創造や改善の余地はない。現状に満足せず、常に次の高みを目指すことが、医療の質を向上させる原動力になると信じているのだ。今年度の如水会のスローガンに掲げた「『ここでしか』を全員で」も、その精神の延長線上にある。「個々のスタッフの技術や人間力を繋ぎ合わせ、ITやAIには代替できない人間ならではの価値を生み出したい」と話す。 新たな挑戦も続く。院内にSEを迎え入れて医療DXを推進し、隣接地にメディカルフィットネス施設 FABa pro.をオープンした。先生自身も週1~2回通い、患者さんへの生活指導に説得力を持たせる。また、痛風患者の増加を受け、防衛医科大学校と連携したゲノム解析にも取り組んでいる。血清尿酸値上昇リスクを遺伝的に解析して、「ゲノム個別化医療」として痛風患者さんたちへ還元している。
 2016年の熊本地震では、断水により透析が困難となる経験もした。八代市の施設へ、普段なら片道1時間の道のりをバスで片道4時間かけて患者さんを送り届け、職員が付き添った。その教訓から、嶋田病院の敷地内に地下水ろ過システムを作った。日常的な透析にも活用すると同時に、災害時には近隣住民にも飲料水を提供できるよう備えている。また、熊本県透析施設協議会の会長として、県内の施設が横断的に助け合える体制の整備にも力を注ぐ。「普段やっていないことは、災害時にもできません。日頃の備えと顔の見える関係性が、いざというときに生きてくる」と話す。「次にどこかで何か自然災害が起こったときには、今度は熊本が全国を助ける側になるはずです」と、熊本県独自の訓練も行う。同時に、震災から10年経ったからこそ、当時の経験を風化させない取り組みも進めている。

透析ベッド数79床ある系列の嘉島クリニックには、県内から多くの患者が通う。患者に寄り添うため、透析室はもちろん待合室も明るく開放的。

理事長室には、先生が愛するアートやお気に入りのオブジェが並び、リラックスして執務できる空間となっている。趣味は自転車で、イタリアの名門ロードバイク「ピナレロ ドグマ」を10年来の相棒に、ハワイで開催されるホノルルセンチュリーライド(160km)には10回も参加した。
また、ご子息が同じ慈恵医大に進んだため、定期的に東京に会いに行く。「当時は部活動にも盛んに打ち込めたのですが、今の学生は履修内容がどんどん増えていて、相当忙しそうですね」と目を細める。
次世代の医師たちへ贈る言葉は、シンプルだ。「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」。そして「相手のことを理解しようとする姿勢、力。それが時代を超えて大事なことだと思います」。生まれ育った熊本の地で、患者と地域とスタッフに向き合い続ける先生の言葉には、次の50年に向けた決意がうかがえた。

ホノルルセンチュリーライドにて

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