JMS情報誌「SIESTA」インタビュー

大阪大学大学院 医学系研究科
心臓血管外科学

宮川 繁教授

今の宮川繁氏の仕事ぶりはまさに「八面六臂」という言葉がよく似合う。心臓外科医として臨床現場に立ち、最先端の再生医療研究を牽引し、若手医師の育成にも努める。さらに学会活動に取り組み、行政関係の仕事もこなす。そのすべてに全力で向き合い、しかもどこか楽しんでいるようにも見える。視線の強さと人懐っこい笑顔が同居する宮川氏。信条は「諦めない」精神だ。

■ 工学部から医学部へ、そして再生医療との出合い

 宮川氏は鳥取県のバスが1日に数本しか走らない田舎で生まれ育った。両親がともに医師で、診療所を開業していた。「母が真夜中にバイクに乗ってよく往診に行っていました。それを見て、医師という仕事は大変だと子ども心に思っていました」。宮川氏の2人の兄はいずれも医師の道へ。父親から「お前まで医者にならなくていい。これからは新しいものを作って社会貢献する時代」と言われ、大阪大学工学部へ進学した。
 ちょうどその頃、同大学医学部では臓器移植再開の扉を開けようとしていた。日本では、1968年の和田心臓移植以降、心臓移植が停滞していたが、1990年代に入り、政府は臨時脳死及び臓器移植調査会を設置。同大医学部倫理委員会は心臓移植を承認し、心臓移植検討会を発足させた。こうした動きは連日、新聞に大きく取り上げられた。
 記事を読むたびに心を揺さぶられた宮川氏は、医学部に入り直すことを決意する。文字通り寝る間も惜しんで勉学に励んだ。
 医学部卒業後、宮川氏は肺、心臓、腸など扱う領域が広く、小児から高齢者まで全年齢を診られる第一外科に入局した。当時の第一外科はことに厳しいことで有名だった。「365日24時間病院にいました。着替えも尽き、着ているものも臭くなってようやく下宿に戻る生活。心身ともにボロボロでした」と振り返る。
 その後、大学の関連病院での勤務を経て、学位取得のため大学に戻った宮川氏に与えられたテーマが「再生医療」だった。重症心不全に対し、心臓移植、人工心臓に次ぐ新しい治療法として欧米ではすでに研究が始まっていた。
 組織や臓器からの細胞の採取方法も培養の仕方も、何も知らない宮川氏にとってまさしくゼロからのスタートだった。「伝手を頼りながら、他の診療科の先生に教えを請うたり、基礎研究の教室に弟子入りしたりしてがむしゃらに知識を積み重ねていきました」。
 転機となったのは日本人工臓器学会の大会で聞いた衝撃的な発表だった。東京女子医科大学の岡野光夫氏(現同大先端生命医科学研究所特任顧問)が細胞をシート状に培養する細胞シート工学という再生医療技術を開発していた。清水達也氏(現同研究所所長)はその技術を利用してネズミの心臓を取り出し、すりつぶして心筋細胞をシート状にした。「そのシートがなんとドキンドキンと拍動しているのです。すごい!ぜひ一緒に研究したいと清水先生に申し込みました」。2000年、東京女子医大との共同研究が始まった。
 清水氏のやり方をベースに宮川氏はシート作成を始めたが、成功するのはわずか100回に数回ほど。「ネズミの赤ちゃんの心臓を使わせてもらったのですが、その死骸が山のようになりました」。それでも宮川氏は気落ちすることはなかった。「これが成功したら必ず新しい治療の世界が待っている。そのときのイメージが頭を占領していたので、これくらいでへこたれることはありません。マイナスのイメージをしたらそちらに引っ張られる。ポジティブシンキングが大事です。同時に、緻密で厳しいプロセスも踏まなくてはいけません」。一つひとつチェックを繰り返し、やがて安定的にシートを作成する条件を導き出した。

■ 新型人工心臓の輸入とブタ心不全モデルでの検証

 その頃、厚生労働省から心筋再生医療の実用化や重症心不全に対する新治療法開発のための多額の研究費が大阪大学に交付されることになった。それを活用して宮川氏が行ったのが人工心臓の輸入だった。
 宮川氏はそれ以前にドイツのバート・ナウハイムにあるケルクホッフクリニックで心臓外科医として2年間勤務した経験をもつ。そこで目にしたのが最新型人工心臓だった。
 当時の日本で広く使用されていた人工心臓は、大きな駆動装置がつき、一度装着すると入院しなければならないうえ、感染や頭蓋内出血などの問題もあった。対して最新型は小型化され、感染などのリスクも抑えられていた。
 最新型人工心臓の必要性を痛感していた宮川氏は海外から取り寄せようとした。「知り合いが日本国内未承認の医療機器を使うのはまずいんじゃないかと言うんです。厚労省に問い合わせたら麻薬対策課に行ってくれと。『えっ、麻薬対策課?!』とビックリ。言われるまま行って、『世界はどんどん新しいものが出てきているのに、日本はまだこんな状況です。それをなんとか打開しなければいけないと僕は心に決めているんです!!』と熱弁しました」。それを聞いた担当者の回答はこうだった。「医師法のもとに先生が輸入して、責任をもって使えばいいんじゃないですか」。
 宮川氏が輸入した人工心臓の重症心不全に対する治療成績は良好だった。それは後に保険適用へとつながった。
 一方、再生医療では、ブタの心不全モデルを作り、そこに心筋シートを移植し、効果や安全性などの検証に取り掛かろうとしていた。だが、ここでも問題があった。肝心なブタの心不全モデルの作り方を知らなかったのだ。宮川氏らは世界中の論文を読み漁り、冠動脈に通して次第に締めつけていくリングがあることを見つけた。海藻を原料にしたそのリングはハワイで作られていることがわかり、これもまた輸入することにした。
 心不全ブタができても、ブタをどのようにして飼えばいいのか。動物業者に頼み込みブタ小屋を作ってもらい、そこで心不全ブタを飼うことにした。ところが、心不全ブタは治療前に死んでしまう。「どうだ、今日のブタの調子は?」「先生、また死んじゃいました」「何が悪いんだ」「ご飯をみせたら、ブタが興奮しすぎてトン死しました」。ブタ小屋から逃げ出したブタを皆で追いかけたこともあった。笑い話のようなこともありながら、ブタ心不全モデルの有効性が確認された。

■ iPS細胞由来の心筋細胞シートをヒトへ

 次はいよいよヒトへの移植だ。倫理委員会に申請すると、危険すぎるとの意見が続出した。そこで宮川氏らは人工心臓の装着者を対象に行うことを提案した。これなら何か起きても血液循環は人工心臓で担保される。委員会から実施許可が下りた。
「4例実施し、2例で心臓機能が大きく改善し、人工心臓から離脱できました。その方は今も心臓移植を受けずに楽しく過ごされています」
 宮川氏らが次に行ったのが虚血性心筋症治療だ。そのとき使っていたのは患者の骨格筋から採取した筋芽細胞シートだった。結果は、心機能が著しく改善された人がいる一方でそうでない人もいた。
「実は僕は、ネズミの心臓から作った細胞シートを使えば有効性が上がると確信していました。でも、ネズミ由来のものを人に植えるわけにはいかない。心筋細胞がほしいと心の中で叫んでいました」
 そのとき登場したのが京都大学の山中伸弥氏だ。宮川氏らは同氏との共同研究によりiPS細胞由来の心筋シートの開発に着手した。心筋細胞を治療に使うには1人3億個以上の細胞が必要になる。すでに東京女子医大と共同で自動的に心筋細胞を作る装置を開発していた。もう一つ懸念されたのがiPS細胞の腫瘍化だ。宮川氏はiPS細胞の中から腫瘍化する恐れのある未成熟な細胞を探し出した。さらに、アメリカで悪性リンパ腫に適応された薬を使えば、その細胞を死滅させられることを確認した。今やiPS細胞由来の心筋細胞シートの臨床応用に向けて安全性と有効性を検証する治験段階に入っている。
 幾多もの困難と闘いながらも決して諦めなかった宮川氏。その原動力は何なのか。「患者さんの命を救いたい、難治性の病気を治したい、ただただその思いです。外科手術や再生医療、今新たに取り組んでいる遺伝子医療はそのための有効なツール。ならばそれを何とか役立てられるようにしたいと願うのは医師として当然のことです」。

■ 若い医師が力を発揮できる環境づくり

 宮川氏がスタッフに常に言っているのが「徹底的に無駄をなくせ」。早朝集合してのカンファレンスをウェブ会議に変更、複数主治医制の導入、当直医以外は土日フリー、若い医師も手術ができるシステム。これまでの慣習にとらわれない新しい風を医局に吹き込んでいる。その風は若い医師たちの心をつかみ、入局職員が急増中だ。特に女性医師の多さが目を引く。
「集まってくるスタッフたちは『自分も何かやってやろう』と威勢がいい。海外にも行くようにどんどん勧めています」
 働き方改革が進む中、医師が本来の仕事に集中するには看護師の協力が必要と、診療看護師の育成にも力を注ぐ。また、同病院未来医療開発部部長として新しい医療技術の創成を目指す。中でも期待しているのが、ゲノム情報や医療情報などのビッグデータを活用して発症する前に病気を見つけ、早期介入することだ。「治る確率が高くなり、医療費の削減にも貢献できます」。
 多忙な日々を送る宮川氏の最大の癒しは愛犬ポコ。毎晩一緒に寝ているという。きっと夢の中でも医療の未来を描いているに違いない。

取材・文/荻 和子 撮影/岩波純一

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