JMS情報誌「SIESTA」インタビュー

神奈川県鎌倉市

湘南鎌倉総合病院
スポーツ総合診療センター

 1988年、「生命いのちだけは平等だ」との理念を掲げる徳洲会グループの国内25番目に開設された湘南鎌倉総合病院。以来「いつでも、どこでも、誰もが最善の医療を受けられる社会」を目指し、病院機能を拡充させてきた。2024年4月には病院長・小林修三氏の指揮のもと、スポーツ総合診療センターをオープン。同センター長に就任したのは東京2020オリンピックのサッカー男子日本代表帯同チームドクターで、さまざまなチームのドクターを務める立石智彦氏である。彼の呼びかけに応じてスポーツ医療に熱い想いをもつ3人の医師が参集した。錚々たるメンバーで船出した同センターの特徴を彼らの想いから探ってみた。

■ 小学校時代からラグビーに関わってきた高森氏

外来中の高森草平氏
廊下にはラグビーW杯2023フランス大会
日本代表ユニフォームが
小林修三院長
立石智彦センター長
 鎌倉市ではスポーツ振興基本計画のもと、スポーツ環境整備を推進している。それに協力しているのが湘南鎌倉総合病院だ。同病院院長の小林修三氏はこの地域にアスリートを専門に診る医療施設がないことから、同病院にスポーツ整形外科を設置したいと立石氏に相談。話はとんとん拍子に進み、新センターの開設が決まった。
 2023年暮れ、立石氏は2人の知己に声をかけた。それが高森草平氏と明田真樹あけだまさき氏だ。
 高森氏は6歳から地元の藤沢ラグビースクールでラグビーを始め、小中高とずっとラグビー少年だった。医師への憧れから愛媛大学医学部に進学。医大5年生のとき、たまたま見たスポーツ番組でラグビーワールドカップに帯同している医師の存在を知った。調べると藤沢湘南台病院に勤務しているスポーツドクターで、翌日すぐに連絡をとった高森氏は藤沢湘南台病院で研修することにした。
 「先生はきっと、私がラグビーに関われればいいぐらいの軽いノリでいたことを見抜かれていたのでしょう。『どの診療科からも欲しがられる医師になれ』と厳しく指導されました」(高森氏)
 研修当初はラグビーを続けていたが、スポーツ整形外科に専念するために現役を引退。体操やバスケットボール、サッカーチームなどの帯同から始まり、帝京大学ラグビー部の帯同が叶ったのが後期研修の最終学年のときだった。
 研修が修了した高森氏が、スポーツ整形外科医としてさらに腕を磨く場として選んだのが横浜南共済病院だった。そこでスポーツ整形外科の診療に励んでいたのが明田氏だった。

■ スポーツに関わりたいとスポーツ整形外科を専門にした明田氏

手術中の明田真樹氏と橋本拓氏
 明田氏は小豆島の出身。体育の教師だった父の影響で幼いころから野球を中心にさまざまなスポーツを行っていた。
 いつかはスポーツに関わる仕事をしたいと思っていた明田氏は香川医科大学に進学し、迷うことなくスポーツ整形外科を専門に決めた。しかし、研修先に選んだのは全診療科をまわれる湘南鎌倉総合病院だった。その理由を「スポーツ現場で選手に起こる医療トラブルは運動器疾患のみならず内科的な疾患も含まれます。そのため、研修の初期から救急を含めた全科を研鑽できるシステムがあった湘南鎌倉総合病院は卒後研修先として魅力でした」と話す。
 数年後、スポーツ整形外科の診療に本格的に携わりたいと横浜南共済病院に移った。明田氏は2017年から横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務めており、ホームゲームの試合帯同や選手の健康管理、必要な場合は院内で選手やスタッフの診療を行う。その他、主に野球に関して小学から大学の学生選手、社会人チーム選手に対する診療を行っている。
 「現場では腹痛や発熱、発疹などさまざまな相談を受けました。改めてスポーツ整形外科は、スポーツによる疾患だけではないことを痛感しました」(明田氏)

■ 高森氏の影響でスポーツ整形外科に興味をもった橋本氏

リハビリ治療中の橋本拓氏
 高森氏と明田氏は、診療が終わった夜遅く、「こんなスポーツ診療ができたらいいね」とよく話をしていた。「そのうちに『海外を見てこないか』という話になりました」と両氏。病院の留学制度を利用して先に海外へ飛び立ったのは明田氏だった。米国カリフォルニア大学整形外科バイオメカニクス教室で研究の傍ら、トミージョン手術の発祥であるカーラン・ジョーブ・クリニックで臨床を学んだ。2年間の留学から帰国した明田氏と入れ違いに今度は高森氏がニュージーランドのリンカーン大学に留学し、研究と並行してラグビーチームのメディカルに関わった。
 帰国後、両氏は横浜南共済病院で数年間勤務。その後、横浜市スポーツ医科学センターなどで非常勤医師となった。高森氏は2019年、23年のラグビーワールドカップ日本代表チームに帯同する経験を重ねた。その高森氏が月に1回湘南藤沢徳洲会病院に勤務することになり、挨拶に行った日、疲れ果てた顔をして現れたのが橋本拓氏だった。
 橋本氏は旭川医科大学の医学部生時代、バレー部に所属。脱臼や骨折、捻挫を起こしては整形外科を受診した。それがきっかけで整形外科医を目指すようになったが、内科や救急なども診られるようにと湘南藤沢徳洲会病院で研修医となり、修了後も同病院整形外科に残った。
 「簡単なスポーツ疾患は診ていましたが、難しい症例はスポーツ整形外科のある他病院に紹介していました。そうした中、ワールドカップのチームドクターだった高森先生が来られると聞いて、どんな方だろうと興味津々でした。ただ、初めてお会いした頃は、毎日8件ほどオペをしていたので疲労困憊でした」と橋本氏は笑いながら振り返る。
 高森氏と一緒に診療しているうちに、橋本氏はスポーツ整形外科への興味が深まっていった。「一般の整形外科では骨折した骨がくっつけば治療終了ですが、スポーツ整形外科は現場に戻るまでのアセスメントが必要です。それがとても面白いと思いました」。片手間でできる分野ではないと、橋本氏はJリーグのモンテディオ山形のチームドクターをしている山形徳洲会病院の大沼寧やすし先生のもとにしばらく通った。「整形外科医になって11年目で一般的にはベテランと呼ばれるキャリアになっていました。しかし、新人に戻って一から学び始めました」。

リハビリテーション室

■ 他科の医師や理学療法士、看護師などをチームのメンバーに

関節鏡を用いた鏡視下手術
理学療法士(中田周兵氏)や看護師と連携し
ホリスティックな医療を目指す
 立石氏から広い手術室やリハビリ室を使え、日中の受診が難しい患者のために夕方診療も可能といった話を聞いた高森氏と明田氏は、自分たちが夢に描いていたスポーツ診療実現の可能性を感じた。両氏は同じ想いを共有できる橋本氏に声を掛けた。
 こうして同センターを支える3人の精鋭医師が揃った。
 同センターで診るのはプロや大学生のアスリートだけではない。スポーツに人生をかけているといっても過言ではない小中高生もいる。彼らの場合、試合日や学校行事、学業、学年、進学などさまざまな要件を考慮して治療を進めなくてはならない。
 「手術をするとなったら、試合へ参加できなくなるかもしれません。一生に一度の試合への不参加はその子の将来をも左右する可能性だってあります。ですから、手術の時期は慎重に検討する必要があります。現場に復帰する時期も同様です。橋本先生が言われたように、どのような状態になったら以前のようなパフォーマンスができるのかを見極めなければなりません」(高森氏)
 こうした判断はスポーツ整形外科医だけでは不十分だ。同センターでは必要に応じて総合診療科や婦人科などの医師の協力を得られる体制が整えられた。また、スポーツ医療に精通している理学療法士や看護師がスタッフに加わった。さらにはアスレチックトレーナー、あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師の非常勤スタッフも揃えられた。
 アスリートを中心に、多職種のプロが意見を出し合い、ホリスティックな解決方法を提示する“Athlete-Centered SPORTSMEDICINE”。これこそが、彼らが描いていた夢の真髄にほかならない。その象徴がセンターの名前に付けられた“総合”という言葉である。
 同センターがオープンしてまだ数か月。求心力があると高森氏が評する橋本氏のもとには、興味をもった若い医師から何件も問い合わせが来ているという。
 「当センターのミッションの一つはホリスティックに診られるスポーツ整形外科医を育てること。それも実現できそうです」と皆、嬉しそうだ。
 多忙な日々を送っている方々だが、オフは何をしているのだろうか。
 「大学のラグビー部やラグビースクールのチームドクターとして試合に帯同するなどラグビー一色です」(高森氏)
 「子どもたちにスポーツに親しんでほしいので野球やサッカーの試合に連れて行っています」(明田氏)
 「アスリートを診る以上、自分の体がひ弱だと説得力がないので、ジムに通って体を鍛えています」(橋本氏)
 休みの日も三者三様にスポーツに関わっていると聞き、同センターの今後がますます楽しみになってきた。

左から橋本拓氏、明田真樹氏、高森草平氏

取材・文/荻 和子 撮影/轟 美津子 写真提供/湘南鎌倉総合病院

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