JMS情報誌「SIESTA」インタビュー

広島県広島市

医療法人一陽会
原田病院

 高齢化が進む広島市西部地区。この地で「地域医療への貢献」という法人の理念のもと、質の高い地域密着型の医療を提供しているのが医療法人一陽会原田病院だ。2020年には、当院を1973年から牽引してきた原田知氏にかわり、西澤欣子氏が理事長に就任。新たなフェーズを迎え、さらなる医療の充実を目指す。

■ 人工透析の拡充とともに糖尿病やCKD、PDなどの専門外来を開設

西澤欣子 理事長
 原田病院のルーツは、1951年、同病院理事長の西澤氏の祖父が開業した原田内科小児科医院に遡る。その医院を承継したのが、西澤氏の父・原田知氏だ。
 岡山大学医学部を卒業した原田氏の研修先は、透析医療に力を入れていた呉共済病院だった。その後、広島市に戻り、73年に原田内科小児科医院院長に就任。1年後には、19床の有床診療所にし、人工透析治療室を設置した。
 67年に慢性透析に公的医療保険が適応となったのを契機に、日本の透析患者は急増していた。それに呼応するように同医院の透析患者も増え続け、対応が難しくなったことから80年に病床数43床、人工透析ベッド27床の原田内科病院に拡充。87年には医療法人社団一陽会を設立し、原田内科病院から原田病院に改称するとともに、病床数120床、人工透析ベッド56床と大幅に増床し、地域の透析治療の中心的医療施設となった。
 「腎疾患や腎臓内科をはじめとした先生が多く当院に集まってきてくださいました。また、95年には、JA広島総合病院の院長で糖尿病に詳しい高科成良先生が来てくださり、糖尿病疾患専門外来が開設されました。周知のとおり、透析導入患者の原疾患の第1位は糖尿病の合併症である糖尿病腎症です。糖尿病疾患専門外来ができたことで、糖尿病から腎症、透析へと進行していく患者さんを、医師や看護師などの多職種連携で対応する基礎の芽ができたと思います」と西澤氏。
 さらに、自宅からの通院透析を少しでも便利にしたいと、96年には一陽会クリニック、2年後の98年には同市南区にイーストクリニック、西区に横川クリニックと、次々とサテライトの透析クリニック(以下、サテライト)を開院していった。
 一方、原田病院も慢性腎臓病(CKD)専門外来や腹膜透析(PD)専門外来、フットケア外来を設け、透析治療や透析に深く関連する疾患を扱う外来の充実を図った。同時に、泌尿器科や内科一般、整形外科、リハビリテーション科の診療も開始し、地域住民の健康を幅広く支える体制が整えられた。

■ ハード、ソフトを充実させ、安心・安全で快適な透析環境を実現

 原田病院では、患者が安心して透析を受けられるよう、ハード、ソフトともにさまざまなサポートを行っている。
 透析室はベッドとベッドの間のスペースにゆとりをもたせ、ゆったりとリラックスできる環境を整えている。また、各患者の生活スタイルに合わせて選択できるよう、腹膜透析や血液透析(HD)、オンラインHDF(血液透析濾過)、在宅血液透析、さらには夜間の睡眠時間を利用して行うオーバーナイト透析を揃えている。また、透析関連装置も積極的に最新バージョンに更新し、透析治療の安全性の確保に努めている。
 シャント管理チームや栄養管理チーム、透析液清浄化チームなど、医師や看護師、臨床工学士、管理栄養士などの透析に従事する各専門職からなる7つのチームで、透析医療にあたっているのも原田病院の大きな特徴だ。例えば、シャント管理チームでは、患者の命綱であるシャントを少しでも長持ちさせられるよう、超音波診断装置を積極的に活用。また、栄養管理チームでは毎月の採血結果から透析効率や栄養状態を評価し、各患者の生活環境に合った食事のアドバイスを行っている。
 同病院では2022年3月、21床の透析室を新たに設置した。その理由を西澤氏は「サテライトに長く通院していた患者さんが高齢になり、送迎が必要になってきました。住宅街にあるサテライトより、広い駐車場のある当病院のほうが、送迎が便利なので、高齢患者さんをこちらに移すことにしたのです」と話し、さらにこう続ける。「これまでの透析室はワンフロアで個室が一つしかなく、しかもコロナ陽性疑いの人もそうでない人も、入口は一緒だったため、コロナ禍での対応が大変でした。それもあって従来の透析室とつながっていて、かつ、入口は別の透析室をつくろうと考えたのです」。
 ちなみに、コロナウイルス感染症が広がり始めた当初より、原田病院では軽症・中等症の透析患者を受け入れ、従来の透析室ではない別の場所を確保して、透析を行った。透析ベッド数はそれほど多くない広島市において、原田病院が透析患者難民ゼロに大いに貢献したことを言い添えておきたい。

広々とした待合ロビー
新たに設置された透析室

■ 医療と介護、福祉をシームレスにつなぐ組織編成に

 「地域医療への貢献」という一陽会の理念は西澤氏の祖父の時代からのもの。その理念は2代目の原田氏に引き継がれた。原田氏は地域住民をサポートするため、介護付き有料老人ホーム「グランホームあさひ」やサービス付き高齢者向け住宅「ケアレジデンス楽々園」、通所介護施設「デイサービス楽々園」を開設。これにより、透析患者が高齢になり在宅生活が難しくなっても、これらの施設に入所し、そこから原田病院やサテライトへの継続通院が可能になった。
 「近年は、近隣の療養型民間病院と連携し、そちらの病院の入院患者さんで透析医療が必要な方をバスで送迎する取り組みをしています。中には何十年も透析治療を行い、さまざまな合併症が起こったり、ADLや認知機能が低下したりする患者さんもいます。当院ではそうした方の対応も行っています」と西澤氏は話す。
 医療機関だけでなく、地域の介護や福祉との連携も積極的に行い、顔の見える関係を築いている。また、22年4月には地域連携室や訪問看護ステーションなどが一体となった包括連携部が新たに立ち上がった。「サテライトには地域連携室のスタッフは常勤ではなく、要請があったら原田病院のスタッフがサテライトに出向き環境調整などを行っていました。もっと早くからサテライトに介入したいという声がスタッフから起こり、できたのが包括連携部です。近年、在宅部門と医療部門の境目をなくし、多職種が連携する組織編成を少しずつ進めていましたが、包括連携部はまさにその象徴です。担当スタッフたちは、地域住民のために何ができるかを常に考えてくれています。スタッフの意識が非常に高くなったことを嬉しく思っています」。

「グランホームあさひ」の居室リハ室
「横川クリニック」の長時間透析室

■ ADL低下を防止するために一層の注力を

瀬戸内海が見渡せる屋上庭園
シックな肘掛け椅子が並ぶ待合ロビー
 スタッフの意識の高さは日ごろの教育の成果にほかならない。例えば、一陽会の看護部では毎年、新人職員対象、中堅職員対象、管理者対象など、それぞれに教育研修プログラムを作成し、一人ひとりのスキルアップをサポートしている。また、認定看護師取得を希望するスタッフには奨学金制度を設け、働きながら資格取得ができるように支援しており、この制度を利用して、すでに皮膚・排泄ケア、糖尿病看護、摂食・嚥下障害、透析看護の認定看護師が誕生している。
 研究・学術活動も盛んだ。例えば、22年7月1〜3日に開かれた第67回日本透析医学会では、17題にもおよぶ一般演題の発表を行い、西澤氏もセッションの座長を務めた。「コロナ禍前までは、日本透析学会にみんなで行って発表し、そのあと美味しいものを食べるのが恒例でした。前理事長がつくった“よく学び、よく遊ぶ”という文化が根づいています」。
 その前理事長がもう一つ強くこだわったのが、病院の建物だ。院内は豪華ホテルのようにゆったりとした上質な空間が広がっていて、医療機関にありがちな無機質さは全くない。待合スペースからは緑豊かな庭園を望むことができ、穏やかな気持ちにさせてくれる。屋上庭園もあり、春と秋にはバラが咲き乱れ、その向こうに瀬戸内海が横たわるという絶景を楽しむことができる。これら全てに、患者にリラックスしてほしいとの前理事長の思いが込められている。
 地域住民からの信頼を得て、またそれが励みとなってスタッフが一丸となり地域住民のために全力を尽くす。好循環が生まれている原田病院だが、今後はどういう方向に進んでいくのだろうか。「スタッフたちがいろいろ研究して出した結論は、透析を続け、栄養状態を維持し、患者のADLの低下を防ぐことが一番大事ということ。それには、本人だけの努力では実現が難しい。医療サイドからも今以上に、さまざまなサポートをしていきたいと思います。例えば、ADLの低下防止については、サテライトに腎リハビリテーションを積極的に行っているスタッフがいるので、そのスタッフを中心に、腎リハの輪をもっと広げていきたいですね。そうしたことが結果的に、透析患者さんの“元気で長生き”につながっていきます。それを実現するには、医療の質をより高めるために勉強しつづけることが大切です。そのためにも理事長として良い経営状況を維持しなければと思っています」。気を引き締めるように、西澤氏はこう語った。

待合スペースの外には緑豊かな庭園が
受付ロビー

取材・文:荻 和子/撮影:轟 美津子/写真提供:医療法人一陽会 原田病院